俺達のサーキットvs俺たちのハングオン
- 2022年7月17日
- 読了時間: 4分
更新日:2月19日
オートバイ誌とバリマシ誌世代の家中さんと田原部員は昔話に華を咲かせていましたよ~
そんなこんな具合で過去の画像なんかを見せあいっこで~す!

月間オートバイ90年1月号
NR750写ってますね~なつかシ~

1990年の1月号のオートバイ誌とバリバリマシン誌
バリマシは香川特集でした

家中さん大川峠を激走‼(大阪府と和歌山県の県境にある大川峠はタイトなコーナーが多い難しいコース)泉州野郎の家中さんは大川峠がホームコース。時間があれば阪奈や助松埠頭の大津大橋や高砂にも走りに行っていた。

家中さんは89年式NSR250RSPをJhaカラーに缶スプレーで塗装(綺麗に塗るな~)
フォークにミシュラン貼ってるけど前はダンロップのライディーンかな?

私は泉大津市の汐見埠頭の写真で俺サチャンピオンいただきました!
カメラマンの吉井君アリガトー‼‼SP忠男のバッタもんグローブ‼‼‼セクレテールのツナギ貰いました‼‼‼

バリマシもGPゼッケンでアイベックスのツナギとタイヤ(バトラックスのBT60Sリアだけ)を貰いました!吉井君いい写真ありがとー‼‼
しかし当時はオートバイ誌とバリバリマシン誌は犬猿の仲だったみたいです。両誌に掲載されるか否かは98%以上はカメラマンの腕です。ガメツイ私はカメラマンのたまごだった先輩の吉井君にしつこく撮影を依頼。嫌がる吉井君を無理やり汐見埠頭に連行し撮影してもらいました!現像された数枚の写真を見て『これは両誌共に表紙や!』と確信の写真を両誌に送りました。吉井君は『同じのは送ったらあかんデ!両誌は犬猿の仲やから違うやつを送りや!』と警告してくれましたが、とにかくガメツイ私は同じ写真でエントリー!(どうせ載るとしたら同じ号やから同じ写真でも関係なんくるナイサー‼‼‼時間差があればコイツはアッチにも送ってるから掲載はやめとこうになっていたかも)当時、走り屋たちはどちらの雑誌がどうとかことはなかったと思いますがネ😊

お金がないのでノーマルタイヤで頑張ってます😊

88も89もメチャよく走る単車でした😊
私(田原部員)は中型免許を16歳で取得後にすぐ88年式NSR250R(赤白テラカラー)を購入。同時に岡山県和気郡の中山サーキット(今は旧車イベントでえらいことになってますな)のサーキットライセンスを取得。MFJ競技ライセンスを取得してからのちに89年式NSR250Rが発売されて購入。汐見埠頭で投稿写真を撮ってもらって数日後ウイリー失敗してめでたく骨折。写真が掲載された両誌は病院のベッドの上で拝見いたしました~
90年は中山選手権のSP250クラスで参戦予定でしたが骨折で断念。退院後すぐ89NSRで中山サーキットのスポーツ走行を開始しますが、今度は天王寺バイパスを走行中に大きな交通事故で右足骨折でまた入院(脛骨と腓骨が両方ボキボキで腓骨が飛び出してました)。加害者が飲酒ひき逃げだったこともあり新聞やテレビで報道されるくらいの大事故でした。
91年に退院後SP250クラスは諦めて91年式CBR250RRを購入し中山選手権のSP250Fクラスに参戦。鈴鹿のサーキットライセンスを取得後(当時鈴鹿は250Fは南コースでしかレース開催が無かったと思います)に中山選手権の第2戦でエンジンを壊してレース人生も終了しました~そっからもういいやと21歳で単車は引退いたしました~(さあこれからは親から借りまくっていた借金すうひゃくまんえんの返済がはじまりますよ~佐川急便でね😢)

中山選手権第1戦でSP250Fはエントリーが30台位(予選落ちナシ!)だったと思います。予選が10位で決勝9位だったかな?大外刈りロケットスタートで5位くらいまで順位を上げましたが自身のスタミナ切れと共に順位を下げて予選順位くらいの順位でチェッカー。

全国からエントリー

俺サ2軍!

家中さんの95NSR250RSP 自分で缶スプレー塗装!めちゃ綺麗!

缶スプレーでこんなに綺麗に塗れるってスゴイ‼‼



家中さんヴィンテージクラスを550で激走‼‼
2012年JJSFフリースタイル岸和田大会 家中さん
2013年JJSFフリースタイル和歌山大会 家中さんラストラン

なかなか捨てるに捨てれません😢

こないだ実家に帰省した時に、父親から『押し入れのゴミの山?を持ってかえりや』と言われ各雑誌やツナギなどを高松に持って帰ってきました~




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